Consideration: Why the traditional media is broken 02

スマートフォンの所有率がパソコンの所有率を上回り、小学生の将来の夢がYOU TUBERとなり、ハリウッド映画もNetflixなどのデジタル配信へとプラットフォームを移してきている昨今。トラディショナルな位置付けを長きに渡って誇示してきたオールドメディアは衰退の一途を辿っている。多くの場面でTVや新聞・雑誌等のオールドメディアと呼ばれる存在を殺しているのはインターネットだと言われているが、それは正解だろうか?半分はYESで半分はNOな気がしてしまう。

企業にとっての基本的な成功は利益を出し継続する事だが、個人にとっての基本的な成功は個人の納得意外に無い。世界中で個人がメディアとして発信が可能になった現代では、メディアが本来持っていた成功のカタチも大きく移り変わり、加速する個人主義がメディアの意味自体も変容させていく。

スタートは90年代の終わり頃に起ったインターネットの発達と拡散によって派生した個人の楽しみとして開設されるホームページやブログと呼ばれるモノだった。今となってはオールドメディアと呼ばれる媒体が発信する情報が信頼を得ていたのに対し、個人のホームページやブログで発信される情報は信憑性に欠け、噂や四方山話に過ぎないとされていた時代。不特定多数が好き勝手に匿名で情報や意見を発信可能なインターネットの世界では、情報源や真偽が定かで無い話がまかり通る事も少なく無く、誰かの自己満足を垣間見たり、他人の部屋を覗き見する様な感覚で楽しむ人が少なく無かった頃はとうに過ぎ去り、インターネットで得られる情報はある種の信憑性を帯びている。

そうした背景には今ではIT業界の巨人としての地位を超えて世界的な企業へと成長してしまったFACEBOOKの始まりがそうだった様に、インターネット上で個人が発信する情報を日常的な楽しみとして扱い、信用の置けるツールへと発展を遂げさせたのは、良くも悪くもクイックな反応を示すユース世代だ。こうした背景にはいつの時代も変わらないユース世代の排他的な価値観や、世間知らずによって起る噂や四方山話での盛り上がりが存在するが、そこには世界情勢や経済の情報を読み解くよりも自分の好きな情報で自分の世界を形成したいという願望が同居する。

 

背景が何であれ、ユースカルチャーはやがてシステムに組み込まれ企業にとっての基本的な成功へと利用されていく。そうした点は、メディアに関わらず様々なジャンルで見られる現象だが、インターネットの世界でオウンドメィアが発達した要因は多様性と、表向き無償で提供される発信ツールにあり、オールドメディアの様な堅苦しさが無い事による。

2000年代に新聞や雑誌・TVはネット上に転がる情報の危険性や信憑性の無さを散々に訴えてきたが、2010年代ではネット上で新聞や雑誌の情報が如何に操作されているかが大らかに語られ、TVでの表現に規制を訴える動きもネット発のものが多く、ネットに転がる画像や映像をTVが使用し間違った情報を流す様な事態も散見されるに至った。完全に立場は逆転したと言っても過言では無いだろう。

皮肉な事に大きくなり過ぎたネット大手のメディアの側も様々な規制が為されていっている昨今だが、世界的に見ればインターネットで情報を得ている国や世代に対して情報規制が強く閲覧すら禁止されている国やインフラ整備の整っていない国も多く、インターネットをツールとして使用していない世代も多い。尤も、オールドメディアで発信されない様な情報やメディアの情報操作に付いてはインターネットの発足以前からアンダーグラウンドで語られていた部分ではあるので、そうした部分が露呈し認知されていく毎に周知の事実へと至ったに過ぎない。

雑誌に限らずペーパーメディアの良さを知る世代としては、「情報は便利さと引き換えに重みを無くした」ぐらいの言葉を綴りたいところではあるが、残念な事に長きに渡って雑誌は不確かな情報や自社に都合の良い情報を流し続けてきたし、広告収益に偏った雑誌作りや責任を取らない体制のまま権威だけを売り物にしてきた。

話をファッション業界に於けるメディアへと移してみて、ざっとファッションやシルバーアクセサリー関連の雑誌に目を通すだけでも解ってしまう事だが、業界や世間で語られる伝説的なお話は雑誌によって印象操作や捏造に近い事が行われてきた結果だ。売り出したいスタイリングがあったとすれば「海外スナップ特集」とでも銘打った企画で売り出したいスタイリングの人達ばかりを掲載すれば良いだけだし、実際に売れてもいないただ店頭に並んでいるというだけのシルバーアクセサリーを如何にも海外で評価が高いかの様に記事を書く事も可能だ。

冒頭で触れた通り、企業にとっての基本的な成功が利益を出し継続する事である以上は、広告収益は外せないだろうし多少の誇張やメディアとしてのインパクトが必要になり派手な見出しやリードが出てきてしまうのはペーパーメディアに限った話ではない。本音と建前で言うならば本音は二割あれば良い方で八割の建前を100%の本音の様に見せていく事も社会ではざらにある話だ。それにしても、オールドメディアはそんな事を長く続け過ぎた。

 

昔ながらの体制のまま続けた雑誌の在り方は、月一回や半年に一回の発刊がSNS等のスピードに勝てる訳も無く、売上げと広告収益の減少では面白味のある企画の予算を組む事も出来ず、果ては広告タイアップとカタログの集まりになっていくのが関の山。という事は書くまでもなく流通している雑誌を手に取れば一目瞭然で、建前で構築せざるを得ないまま継続してきてしまった雑誌は、本気でリアルな情報を得たいと思っている読者を満たす事が出来なかったという事だ。雑誌という枠の中では本気は建前に勝つ事は出来ないが、その枠外であれば建前は本気には勝つ事が出来ない。

インターネットに転がる情報は無料であるが故に権威が少なく、本当であるか否か扇動されるか否かの見極めは情報を得る個人の側の納得に委ねられる。比較要素が多く与えられ情報に溢れた中から選びとる個人の側にだ。其れに対して雑誌というメディアは正規のルートで流通し有料であるが故に権威を持つ事になり掲載される情報には真偽の程が定かにされるべきであるのに、あまりに利己的に物事を運び過ぎたし、選択肢を狭める事で企業としての利益を享受し続けてきた。ツケを払うべき時が訪れたのだろう。

インターネットの登場によって情報発信ツールが増えた事によって従来のメディアが殺されていく。それも正しい見解だろう。だが、従来のメディアはそれまでのやり方に胡座をかいて情報を発信し続けたが故に自らの身を滅ぼす結果になったに過ぎない。「雑誌に掲載されていれば売れる」そんな事を声高に叫び続けた時代ももう既に終焉を迎え、個人の発進力と個人の納得がメディアの在り方として一つの成熟期を迎えようとしている。

 

Why the traditional media is broken 01

人が動き続けるのに睡眠と食事が必要である様に、毎日の暮らしを行うには住居が必要になる。しかし、それだけで目紛しい世の中をタフに生きていけるだろうか?

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