RESONANCE:02 YUJI KOBAYASHI
何かを創り出す者が持っている美学や哲学は、他の創り手と交差する際に不協和音の様でいて共鳴する旋律を奏でる。その交差するポイントで響く何かを探る高蝶智樹によるクロストーク。第二回は長野県で珈琲とラングリッツレザーという異色の組み合わせによるSHOP「CUBE」を主催しながら、アパレルブランド「drestrip」のディレクターとしても活動する小林さんと、3月に「CUBE」で行われたSPEED SPECTERのイベント直前に雑談気味に行われた対談をお送り致します。
高蝶:特にトークのテーマとか無いんスよね。展示会とかでもテーマとかあると楽だけど、無理に添わせてっちゃうじゃないですか。
小林:ザックリな感じだ。ロジックあると楽なのはあるから、余計な話を省いちゃうってのはあるね。
高蝶:その余計な部分で良いのかなって思ってんですよ。無駄が楽しいみたいな。そんな話とか時間が良いんですよね。今は長野でCUBEやりながらdrestripの方は東京の沢井君に預けて指示出しながらっすよね?もう何年ですかそのやり方で。
小林:長野来て4年目かな。CUBEオープンして高蝶君が遊びに来てくれたのって割と直後ぐらいのタイミングだったよね。
高蝶:確かヤシコバさんが東京離れる直前ぐらいでウチ(REFUSE)に遊びに来てくれたんすよ。その時に初めてぐらいな感じで長く喋って。その前って知り合った時のパリでの展示会とかじゃないっすか。
小林:相当前だよね2006年ぐらいだっけ?懐かしい。知り合ってから時間だけは結構経ってたんだよね。
高蝶:そっすねぇ。知り合った当時ぐらいから2015年ぐらい迄って、ウチの外交を小野田がやってたから、お互いの情報とか近況は知りつつも絡む機会は少なかったっすもんね。
小林:いや〜、ダーオノが怪しくてさぁ。人に取り入ろうみたいな下からローション出して近寄ってくる感じがビンビンだったから、俺はあんまり相手にしてなかったんだよね、最初は。
高蝶:俺は打ち合わせとかが無いとあんまり人様の展示会とか行かない事にしてたんすよ当時は。
小林:ツチノコだったよね。「どうやら高蝶は存在しているらしい」みたいなアパレル都市伝説ぐらいに人の展示会とか殆ど顔出さないタイプでさ。
高蝶:小野田が外交やってるのに俺が出てくと邪魔になるし。ところが外交って言っても何も話纏めて来ないで酒飲んで遊んでただけって言うね、なんで最近はそのやり方は変えてますけど。
小林:ウチも当時はそうだったかなぁ。自分が出るよりも営業やらプレスやらのスタッフがいたら任せないとソイツ等の顔も立たないし勉強にもならない。本当は自分で何でもやらなきゃいけないんだけどね。
高蝶:当時の話で言うと、ヤシコバさんトコ(drestrip)の情報は小野田が持ってくるけど、シルバーアクセサリーとかは他のブランドさんと色々やってるし、俺が出しゃばる気が無かったと言うか、人様がやってるトコに無理矢理何かって嫌いなんスよね。
小林:よくあるファッションブランドのアクセサリーみたいなのが好きじゃなかったから、自分の繋がりの中でマジカルデザインの内山さんとかに頼んで他との違いを示したりしてたね当時。
高蝶:ありますよね、アパレル寄りの“ワンシーズンサヨナラアクセ”。ヤシコバさんトコはそんなんじゃない感じがスゲー出てましたもん。ちゃんとカルチャー的な部分を踏まえてのアクションだなぁって。だから俺が絡んで余計な事する気も無かったし。
小林:そうそう、アパレルでやってるからってファッション系に合わせてくよりも、拘りとかその辺の意思表示はしっかりしていたいな。全部が全部じゃあなくても中途半端な事ばかりを積み重ねたくは無いよね。
高蝶:俺、スゲー不思議だったんですよね。小林さんのスタイルって、バイクが好きタトゥーが好き、音楽好きで不良のカルチャーど真ん中みたいなのに、やってるブランドのdrestripが結構ユルくてファニーな部分も多いし、何か面白いズレ方してんな、この人。ってなってた。
小林:そうなんだよねぇ。そーゆー部分を狙っちゃう天の邪鬼な自分みたいなのは確実に在って、判り易い一貫性みたいなのがビジネス的にも成功し易いのかも知れないけれど、やってる小林って男の奥行きを見せてる様で見せてない絶妙な感じだね。
高蝶:ブランドとデザイナー/クリエイター個人のパーソナルスペースは別のところに存在させる感じですかね。ハイブランドなんかでもそうですけど、テイストとしてのデザイナーであって本軸は別にしっかり存在してる様な。プライベートと表現する世界は個別にするやり方。だから今みたいな体制でやってけてんすね。
小林:そうだね。俺のスタイルがモロでブランドをやってたら今のCUBEみたいな店も出来なかっただろうし、全部がそっちに流されてっちゃってたかな。
高蝶:例えに出すのも申し訳ないんですけど、昔のBACKBONEって太田直也の世界にクズテツさんの味付けで上手くいってたじゃないっすか。だから直也君が抜けたらガタガタっとなって具合に、まぁ要因は他にも有るけどダメになっていった。
小林:クズテツさんって、あの人は基本的にデストロイ&デストロイじゃない?
(一同爆笑)
高蝶:いやー、そうっすね。クズテツさんって結局はやっぱりスタイリストなんですよ。いくらディレクターぶってみても、美味しいのをチョイスして組み合わせるのが上手いってだけで。結局のトコ、クリエイターとかディレクターには向かない人なんですよ。
小林:そうなんだよね。理想と行動が合ってない。
高蝶:そのクズテツさん周りとか「恵比寿連合」(BACK LASH等を中心とした東京・恵比寿界隈のアパレルブランドの集まり)周りを見てても、当時の俺からしたらヤシコバさん個人とdrestrip見てて、「不思議な人だなぁ〜」ってなってましたね。
小林:無双を目指しちゃうからねっ。
高蝶:そんでまた不思議なのが、「どうやら小林さんが東京から長野に移るらしい」って話を聞いたら急に寂しい気持ちになったんすよ。何でだかは当時は解ってなかったんですけど。例えは悪いんですけど、「アイツちょっと良いよね」とか思ってたけどSEXしないままで疎遠になっちゃった女性みたいな感覚と言うか。多分、ヤシコバさんの独特のツッパリ方が好きだったんでしょうね。それで、東京離れる前にゆっくり話してみたいなって。
小林:ブランドのアイテムだけ見てると不思議に感じちゃったりするよね。周りとの関係性とか気にし出すと個人的な部分には深く突っ込まなかったりしちゃいがちだし。俺も高蝶君トコは気になってたけど、専門職の方とか職人さんには不義理な事したく無いし、美味しそうなトコだったら何処とでもヤッちゃうブランドとかも居たじゃん。そう言うヤリマン体質なのは筋が通ってないから嫌でね。
高蝶:いますよねぇ貞操観念の緩い“イージマター”なブランドさん。
小林:そうそう。だから何か一つのカテゴリーのプロと組んで仕事してるなら、同じカテゴリーで他と組むのは失礼だしコッチも軽くなっちゃうからね。シルバーアクセサリーだと当時にマジカルデザインとやって以降は本格的にやってないなぁ。
高蝶:ヤシコバさんのそう言うトコが好きなのもあって、東京に居る時は余計な事したくないなって、付き合いも遠慮しちゃってる部分はありましたね俺は。それが長野で「CUBE」を始めるって聞いたから「こりゃあ遊びに行き易くなるな」って。まぁ、最初は相変わらず不思議でしたけどね。ラングリッツレザーと珈琲の店ってのが。
小林:おう、世界初だよ。「CUBE」の方ではdrestripも置かないしお客さんにも特に話しもしないしね。変なカルチャーの混ぜ方して純度が下がっちゃうのは嫌だから。
高蝶:オモシレェよなぁ、「CUBE」から入ったお客さんが後々になってdrestripの事とか知ったら不思議に思うんだろうし。俺は「CUBE」が出来て遊び易くなった、居心地良いし。どうしてもブランド対ブランドって事になるとコストがどうとかブランドの格がどうとか気にしちゃう人も多いし、経営的には気にしなくちゃいけなくなっちゃったりするトコも多いけど、やっぱりブランドとしてと個人のやりたい気持ちは別になるじゃないですか。
小林:会社事情とかは有るにしても、せっかく他とやるなら楽しく真剣にやりたいもんね。遊び無しでやるならビジネス的な意見で見返りの等価を要求するしかないからな。
高蝶:そうなんすよ。結局は東京でビジネス的に動くと「感謝の気持ちは現金で!」みたいな事になっちゃう。
小林:本当だよね。「ソコしか無いのかよ?」みたいになってくる。
高蝶:年齢だけは大人になっちゃってるから大人の遊び方としての物創り、ラフな気持ちで入って本気で進める。そんな感じで遊びたいんですよ。
小林:俺も長野で本気で遊んで店やってるからね。売り物でも無い「陸王」とか置いて趣味が判り易く反影されてる。
高蝶:これは多分、多分の話なんですけど。自分等ぐらいの現在40オーバーの世代のアパレル業界の人々って、こう言う大人の遊び方を10代の頃に何処かで目にして「カッコイイな」って憧れた部分を追って業界とかに進んだんだと思うんですよ。アパレルとかシルバーアクセ、ファッション業界の人達ってのは憧れた何かしらを追ってきた筈。それなのに、実際は憧れとは掛け離れた事やってる連中がクソみてぇに積み上がってるじゃないっすか。口ばっかりって言うかね。
小林:いや、ホントそうだね。97%はそういう連中だよ。
高蝶:アレって「何でなんだろうなぁ・・・・」ってよく思っちゃうんですよ。
小林:う〜ん・・・、俺は根性論で生きては無いけど、腹の括り方が足りてない奴等が多いよね。中途半端に金儲けしたくて中途半端に夢語って、あのアパレル業界の夢語ってるだけの集まりが苦手でさ、だからあんまり飲み会とか参加しない。
高蝶:俺も苦手っすわ。「飲んでる暇あんなら夢の実現に向って努力しろや!」って説教したくなっちゃうから。そーゆー場には小野田が率先して行ってますね。ヌルヌル語ってるだけのローショントーク大好きなんで、小野田は。
小林:ダーオノさんは聞いてるフリでヌルっと聞き流して頷いてるの得意ですから。アレは笑顔とは裏腹に、腹の中では相当な毒吐いてやがんだろうな。
高蝶:いや、腹の中だけじゃなくて翌日に会社で俺に毒吐いてますよ。
小林:「蝶さん聞いて下さいよぉ、昨日は小林のヤロウが生意気な事言ってやがってぇ」とか酷いヤツね。高蝶君が毒の受け皿な訳だ。
高蝶:俺は小野田の便器ですね。余計な毒は便器に吐き出して自分だけはスッキリしちまおうって魂胆ですよ、小野田は。まぁ別に誰が?って特定しての話じゃなくて、業界的に見てくれじゃなくて「カッコイイ大人」になってる人が少ないですよ。
小林:「お金を持った大人」になった人は多いけどね。そこらへんも残念な感じだよ。金儲けは悪い事じゃないんだけど、
高蝶:お金は必要じゃないっすか。自分達がやりたい事を実現する為でも何でも必要にはなってくるし、でも、活動の為の資金を稼ぐんじゃなくて、お金稼ぐ為に活動してくってのを見てると、必要以上のお金稼ぐ必要って何処にあんの?ってなっちゃうんですよ、俺は。
小林:お金は本当に人を狂わすよ。狂わないで稼いでるならまだしも、どの世界でもそうなんだろうけど、狂わずにやってける人ってのは希有だよね。幸いな事なのかどうか、俺はそういう狂ったお金の掴み方をしなかったからブレずに東京でやってられたけど。
高蝶:小林さんが東京出てきたのって何歳ぐらいのときですか?
小林:二十歳ぐらいで音楽やりに東京出て、音楽とファッションの共通点て言うか同じ一つのカルチャーとして、ブランド云々よりも好きな事をやってるだけだったね最初は。
高蝶:多分、若い頃って人と同じ格好をするよりも自分の好きを主張したい時期だったと思うんですよ。「これがカッコイイ」ってのを自分で集めて自分で着て街に出て自然と行ってく表現行為。
小林:やってるその時は思ってないんだけどね。後から言葉にするとそういう事だったし、洋服もバイクも一つの重要な行為だったよね。そんな中でプライオリティの高さで一番に音楽があって、それで飯を食っていきたいってやってんだけど上手くいかない捌け口にバイクがあったり、ツールとして洋服があったり。そんな中から音楽での暮らしを諦めてから本気で洋服にいったのは30歳が見えて来た頃かな。バイクは専門で整備する側になっちゃうと乗って楽しむ側の時間が減っちゃうから、ファッションの方にいったんだろうね。
高蝶:専門的にファッションの勉強とかして東京に出てきた訳じゃ無いですよね。どうやって始めたんですか?
小林:働きながら実践で覚えて行ったよ。小さなレディースのアパレルやってる会社に入って絵型の描き方や工場とのやり取り学んで百貨店回りとかして営業のノウハウ学んだりとか一つ一つだね。
高蝶:現場修行ってヤツですよね。周りにドヤされながら自分で学び取って行くタイプの。そっからどれくらいで独立したんすか。
小林:2〜3年でだったかなぁ。世田谷のアパートで嫁さんと一緒に袋詰めして初めて伝票切ってが30歳になる寸前ぐらいでの出来事だったから。
高蝶:当時って所謂、アパートブランドとかマンションブランドって呼ばれる様なアパートやマンションの狭い一室でブランドの事務所にして活動してる人は多かったですよね。裏原のブーム以降の盛り上がり方だから丁度2000年ぐらいですか?
小林:そうだね。初めての伝票が99年の8月とかだったから、本格的にパターンとか何とかやり始めたのはその翌年からとかだね。
高蝶:あの頃は裏原の訳が解んないぐらいの盛り上がりが一段落して次の段階に行こうとしてた時期だったし、90年代の世紀末感とかダウナーな感じからデジタリズムの新世代に移る気配が強かった時期。
小林:パソコンの普及率が凄くて、絵型やパターンをMACとかで皆が効率的にやり始めて、めちゃくちゃな事も多かった。「手で描けや」って部分も多かったりしたけど。人に頼んでたグラフィックが自分で出来る様になって、自分で入稿してプリントやって。当時さぁ「宝島」とかの雑誌でブックインブックで通販とかあったじゃん?
高蝶:ありましたねぇ〜懐かしい。
小林:ああいうのに掲載したりして小銭稼ぎで食いつないだりとかしてたよね。懐かしいなぁ。
高蝶:当時はまだ雑誌の通販だけで食ってる人とかいましたもんねぇ。今じゃ考えられない。ほんの15年前とかなのに。
小林:革の小物とかもやってて良いトコのセレクトショップに営業行ったりしてさ。ヴェルベットの敷物の上に並べて紹介したりって演出した営業やったりするんだけど、何処も買い取ってくんないの「アクが強すぎる」って。せいぜいが委託で扱って貰えたぐらいだよ。まぁ、「アクが強すぎる」ってのも俺にとっては褒め言葉だと思って、他とは違うってモチベーションでやってられた。今にしてみたらデメリットでしかないんだけど。
高蝶:でも、駆け出しの頃って「他とは馴染まない」みたいな事ですらモチベーションが上がる方に転換させないとやってられないんですよね。独りでやってると特にそう。
小林:そうそうそう。「コレは金の為にやってるんじゃねぇ」ってプライドが自分に対しての免罪符だったからね。そうやって思ってないと続けられない。月3万円の売上げしか無かった俺が虚勢張ってるには、その免罪符を振りかざすしか無かった。
高蝶:そういう時代が確かにありましたね。俺もそうだったし多くの若いクリエイターとかデザイナーがそうだった。それ以降の2000年代中盤に入って「master mind japan」を筆頭に東京ブランドが盛り上がり出して、皆がパリとかの展示会に参加し出した。その頃の小林さんはどの流れでパリとか参加してました?2007年だが2008年ぐらいでしたよね?パリで俺と初めて会ったのって。
小林:イズリールの高倉さんと知り合ってからの流れかな。イズリールがイタリアのピッティに招待ブランドに選ばれて、その裏方でも良いから現場の勉強させてくれっれ頼み込んで付いてった。そうやって周りとの付き合いもあってパリ展に参加させて貰ったりだったねぇ。
高蝶:あの当時って、みんなツッパってましたよね。裏原の人達になると桁が2つぐらい違うんだろうけど、それでも景気良くやれてるトコなんかは物創りも態度も糞ツッパってて、世代とか年齢もあるんでしょうけど勢いの中で皆が張り合ってる感じはあった。
小林:基本的に目線が上からだったしね。歳食ったのもあるけど、今みたいに景気が落ち込んでくると本質が見えてくるよ。振るいに掛けられて淘汰されてく。その方が自由にやって免罪符じゃない「金のためにやってない」っていう楽しみがあるからね。
高蝶:長く続けてると思うのが、時流を見て景気の良さそうなアソコでアレなら売れるコレなら売れるって小手先の事をやるようになっちゃうよか、景気が悪くても好きな事続けてられるツッパリ方してるのが良いなってなりますよ。だから、当時の盛り上がりのまま業界がいかなくて良かったなって思います。盛り下がってる中での方が本当の実力が試されるし。
小林:俺も同感だね。化けの皮が剥がれて本質が剥き出しになってからのが本気でやってる人が判って遊び易いし。今後もさ、免罪符振り回しながら遊んでこうよ。
CUBE NAGANO: http://cubenagano.com
人が動き続けるのに睡眠と食事が必要である様に、毎日の暮らしを行うには住居が必要になる。しかし、それだけで目紛しい世の中をタフに生きていけるだろうか?
新しい何かを見つける為の刺激や、自分らしくある為のスタイル。何か行動を起こす為には心に響く燃料が必要だ。音楽やアート、嗜好品やファッション、誰かとの時間やスポーツ。そして、旅とクリエイティブ。
物を創るという行動、その為に必要とされる刺激を表現する事で、誰かが行動する為の燃料になる様に、クリエイティブの現場をフォーカスし、そこに携わる様々な事象や場所・人達を幅広くお伝えしていきます。