INTERSECTION -ISAMU KATAYAMA BACKLASH- Vol:03

本物と称される物と、そうでは無い物では何が違うのだろうか?ファッションやシルバーアクセサリー、レザーアイテム等に惹かれる人達にとって一度は考えてしまう単純な様で難解な疑問。素材としての本物、皮革や貴金属と言った意味合いでは無く製品として何を持ってして本物とするべきなのか?選びたくなる身に着けて使いたくなる物とは一体なんだろう。

マシンメイドでは無くハンドメイドだから?3DプリンターやCADで無く手造型だから?コスト主義では無く採算度外視だから?何々で無く何々だからの理由は逆にしてみても本物と呼べない理由になり得無い。マシンメイドでコスト主義の元に大量生産された製品も50年が経過すればヴィンテージアイテムとして本物と呼ばれる。そう考えると時間は大きな要素だ。時間が物に付与する人を惹きつける何か。其れは経年変化による佇まいの変化と風格だろう。「ISAMU KATAYAMA BACKLASH」と「Loud Style Design」に共通する美学を挙げるなら、リアルさに基づいた佇まいの良さと風格になるのではないだろうか。

今回で3度目となるコラボレーションで目にする事の出来るアイテム達は、このプロジェクトが連続性を持ってトータルスタイリングへ向かっている事を伺わせる。ファーストコンタクトでリリースされたカラビナやバングルのエッジ感はセーフティーピンに。同じくカラビナに施されていたアラベスクの紋様はチェーンネックレスのプレートに。新たなモチーフとして採用されたヘアゴムのコンチョパーツにはナバホ族の様式美を取り込んだと思しきLoud Style Design流の意匠が目を惹く。こうしたアイテム達が備えている佇まいや風格は、現在も時間が経過したとしても損なわれずに増していくのだと思う。

片山氏と高蝶がコラボレーションの打ち合わせをする際にポイントとなるのはいつも、着用感や使用感を考えるリアリティーの話だ。どんな身に着け方をするのか?どんな時、何に合わせてに使うのか?身に着けて何処へ行くのか?アイテムのアイデアは着用のリアリティーを伴ってサイジングされデザインに至る。至極当然の事の様でいて両者の特性を生かすには最も重要な点がアイテムに反映されている。

ヴィンテージアイテムが使用感と経年変化によって本物と呼ばれるのは、その時間経過がリアルに物に刻まれているからだ。デザインや細密な造型、丁寧な縫製は確かに佇まいを良くする。マシンメイドや大量生産だからこそ成立する整合性もある。だが、其れだけでは本物と呼ばれる風格に届かない理由はきっとGenuineとRealの違いなんだろう。素材や制作がGenuineであっても創り手の意思が息づくRealが無ければ風格は得られない。このコラボレーションの連続性は其れを如実に物語っている。

 

ISAMU KATAYAMA BACKLASH

https://www.backlash.jp

 

MOTOR CYCLE、HOT ROD、ROCK N’ ROLL、PUNK、HEAVY METAL、LOUDと称されるカルチャーに共通する美学や哲学。そこに在る言葉では表せない衝動、心を突き動かし続ける真実を掴み取る事で生み出されるプロダクト。
造型物としての美しさを追求し、身に着けた人のスタイルとなるアイテムを自分達の手で製作する事を根幹とし、LOUDなSTYLEをDESIGNする事で創り続けるのは、深く刻まれる生き様や思想と重ね合わせ身に纏う真実。一つの真実が、手にした誰かのストーリーになりスタイルとなる。

Loud Style Designの全ては、銀という素材を直接加工する事で創り出す原型に端を発し、想像を創造へと進化させる技術を研鑽し、装像を送像する為のアイデアを練る事で転がり続けながら、不変のバランスに独自のストーリーを刻み、流れ去って行くデザインでは無く、永く在り続けるデザインを生み出す。