Consideration: Why the traditional media is broken 01

メディアにとって絶対的に必要不可欠だった物を一つ挙げるとすれば“権威”である。その事を認識しながら各種媒体に触れている人の割合は多く無いのかも知れないが、

誰もがテレビや雑誌等の媒体に触れる際に何となく得ている、もしくは期待する信頼感がメディアの持つ“権威”によるものだと言う事は、否定出来ない点だろう。

何らかのデバイスでインターネットに繋がる事が日常になった現在では、個人の脳が処理し切れない程のコンテンツと情報が溢れており、

同時に個人が何らかのコンテンツや情報を発信するメディアとしての役割を担う事が可能になっている。

その為に、必要不可欠で揺るがない様にしておかねばならなかったメディアとしての“権威”が崩壊の兆しを見せている事は、

振るわないテレビ番組視聴率や売上げが下がり続け休刊の続発する雑誌等の現状から、権威自体を認識していなかった人達でも感じている事だろう。

 

テレビや雑誌等の媒体がメディアとしての不振を続ける裏側では、インターネットの世界で次々と新たなツールがリリースされ、世界規模で“権威”を獲得し続けている。

当然の話なのだが、個人に与えられた1日は24時間であり、その中でメディアに触れる時間は限られている。媒体の数が増えれば需要は分散し“権威”は薄れるか他へ移る。

そんな中で日本の雑誌、特にファッション業界に関しては1次メディアとしての出遅れ感は否めないし、更に狭くシルバーアクセサリー業界に関して述べるとするならば、皆無に等しいレベルが続いている。

 

情報を得ようとする側と情報を発信する側とのズレが大きくなる一番の要因は、メディアとしての収益を何処で得るのか?

という根幹の部分に在る事は間違い無いが、そもそものズレはリアルな情報を権威に対して求める需要と、広告収益を媒体の主軸にしてメディアを構築している供給とが合っていない事だろう。

結果として、需要側はWeb上のオウンドメディアやソーシャルメディアにリアルでスピーディな情報を求め、

供給側は“権威の残り香”に縋って広告収益を求め質の下がった同じ事の繰り返しのコンテンツでペーパーメディアを刷り続けている。

この悪循環を抜け出す方法は単純で、質の高いコンテンツや情報をスピーディー且つリアルに供給し続ける事なのだが、

残念な事に其れを実現出来る程の収益が見込めないとなると出版社等の1次メディアは手を出さない。

ビジネスとして捉えれば至極真っ当な判断であり、情報供給側としては労力に見合ってなくリスクの高いプロジェクトに手を出す事は無いだろう。

しかし、メディアとしての“権威”を誇っていた時代から雑誌という媒体を信用して買い支えてきてくれた需要側が求めているのは、質が高く面白いコンテンツと広告都合に左右されないリアルな情報なのだ。

対価を支払っても見たいのは垂れ流されるカタログと見飽きたPRの繰り返しでは無い。

 

Webメディアが必ずしも過去のテレビや雑誌の様に“権威”を獲得出来るとは限らない。

需要・ユーザー側の主導権が強く一つのコンテンツに対して情報が散在する事になるWebの特性を鑑みると恣意的に情報を操作する事が難しく、

オウンドメディアやソーシャルメディアで信用を得るには幾つもの壁を越える必要に迫られる。問題はその為の対価として労力を払えるか?になる。

 

「情熱は最も利用され易い燃料だ」とは尤もな言葉だが、金銭的な収益以外で質を上げ継続を可能にするのは情熱より他に無い。広告収益や自社の利益を求める為で無いオウンドメィア。

自尊心や損得勘定でなく発信するソーシャルメディア。スピーディー且つリアルにコンテンツや情報を提供してくれるWebsite・・・。

其れ等が可能であるならば、“権威”とは違ったカタチの信用を獲得する事になるだろうが、果たして商業的な成功も含めて可能だろうか?少なくとも、現在は存在しない。

だが、存在しないからこそ目指す価値があるのは確かだ。

人が動き続けるのに睡眠と食事が必要である様に、毎日の暮らしを行うには住居が必要になる。しかし、それだけで目紛しい世の中をタフに生きていけるだろうか?

新しい何かを見つける為の刺激や、自分らしくある為のスタイル。何か行動を起こす為には心に響く燃料が必要だ。音楽やアート、嗜好品やファッション、誰かとの時間やスポーツ。そして、旅とクリエイティブ。
物を創るという行動、その為に必要とされる刺激を表現する事で、誰かが行動する為の燃料になる様に、クリエイティブの現場をフォーカスし、そこに携わる様々な事象や場所・人達を幅広くお伝えしていきます。